ピリオドのこっちがわ

さまざまな記録と想像

写真を撮りに行く

 正午に起床した。
 どこかへでかけたい気持ちがあった。また、どこへもでかけたくない気持ちがあった。
 のんびり考えようと思い、本を読みながらリビングに寝転がった。
 5ページごとに眠気が押し寄せ、起きているのか寝ているのか、自分でもよくわからない状態で読書を続けるうちに、すっかり午後三時になっていた。
 外に出たいけれど、今日は町には行きたい気分ではないということが分かった。
 それはなんとなく分かった。
 町じゃないところへ行こうと思い、家の近くの川に行くことにした。
 よく遊びに行く川だった。
 せっかくだから、カメラも連れて行こうと思った。
 時々写真を撮って遊ぶのが好きだ。

 強い陽射しが川沿いの土手を包んでいる。とても明るいので、とても気分がよい。
 野球場も、土手の斜面の芝生も、遠くの都市の末端も、空に浮かぶ雲でさえ、くっきりと綺麗に像を結んでいた。
 じわじわと暑い陽射しと、さわやかな風の中を歩くことは、文明から離れるごとに、その意味を増していくように思う。
 鮮やかな花が咲いており、地味な花が咲いている。世界にひとつだけの花があり、世界にひとつだけでなくとも花は花であると思った。
 緑色に艶めく健康な草が茂り、枯れて朽ちていく草があった。どちらにより多くの価値があるかではなく、それらはぐるぐると立場を入れ替えて循環しているから、どちらも同じ草なのだと思った。
 川にはカヌーの練習をする屈強な人達がいて、川岸の木々の中には森の人が住んでいた。
 何かにたかった真っ黒な蟻たちは生命そのものを食らったり、食らわれたりしていた。
 なにもない公園の中に、おもしろい顔の動物たちが潜んでいた。
 雲の切れ目から糸のような光線が降ってくる。
 私は、もっといいカメラが欲しいなあと思った。
 しかし、もっといいカメラを買っても、私の目に映る世界は、あんまり変わりがない気もした。

 

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うみがめ

 雨になると、家の前にうみがめがいる。

 転職のために借りた古い一軒家は海の目の前にあった。玄関を出て国道を一本またぐとすぐ浜辺、という立地は、一度失敗した私にとって見るからに感傷的で、心の有様を良い具合に表現してくれているように思えたのだけれど、不動産会社の案内係を引き連れての内見の際にも、また引っ越し作業の際にも、一度も雨の日がなかったから、うみがめに気づくタイミングはまるでなかったし、前情報として「ちなみにこの家、うみがめが出ます」とアドバイスしてくれる人もいなかったから、当然のことながら声も出ないくらいびっくりした。
 はじめにうみがめに会ったのは、通勤が始まってから二日目の朝で、急いで出勤の支度を済ませて天気予報のおっしゃる通りに傘を持って革靴を履いて、玄関のドアを開けた時だった。あるいて3歩ほどの位置に小山のような大きさの、雨に濡れたうみがめがおり、半分閉じかけた真っ黒な目で私を見ていた。
「か」と言葉に詰まり「かめがいる」と、頑張ったおかげで正しい日本語を発言できるが、頑張りに対して意味の価値が損益分岐点を超えなかった。
 瞬時に感じたのは、未知の存在に対する原始的な恐怖と驚きだったけれど、うみがめを見つめながら考えてみるに、おそらく彼(あるいは彼女)は人間に危害を加えることはないはずだったし、かめには爪も牙も無いはずだし、恐れる理由は特にないはずだ、ということだった。しかしながら、人が見かけによらない事と同様、イメージは儚いから、実際にどれほどの危険度があるのか確認しておく必要はある。
 私は傘をさしながらうみがめの周りをゆっくりと回り、「かめ、かめ」と声をかけ、庭に落ちていた桜の木の枝で甲羅を突いてみるなどの遠距離からの接触を試みた。うみがめはゆっくりと目を開閉するばかりで、何を考えているのだか全くの不明だ。指先でかめの頭をなでる、周りに人がいないか確かめたあと軽くまたがってみるなどの行為にも及んだのだけれど、かめはやはり何のリアクションも返さなかった。もしかしたら、またがったタイミングで動き出し、竜宮城的などこかへ連れて行ってくれるつもりなのではないかとも考えていたのだけれど、そんな都合の良いことは起こらなかった。私もべつに、かめを助けた記憶も無いから、このうみがめに関して言うと、縁もゆかりもない全くの他人(他亀)でしかない。
 鞄からスマートフォンを取り出し、バスの時間がぎりぎりであることを確認した。
 うみがめのことは気になる。けれど私にとっては会社の方が大切だった。まだ出勤二日目だから、間違っても遅刻などしたくない。帰ってくるまでには、いなくなっているだろうと決めつけた。うみがめの後ろ姿を眺めてから、国道沿いを歩いてバス停に向かう。
 国道の向こうは、雨雲を映し出した灰色の海だ。きっとうみがめは、あそこからやってきたのだろう。
 仕事を終えて帰ってくると、家の前にはうみがめの姿はなかった。
 しかし、次の雨の朝にはまた姿を現して、玄関から3歩の位置で、じっとしていた。

 そのようにしてうみがめは私の生活に解けこんでいった。
 私が住みはじめた地域は特別に雨が多いのか、うみがめに会う機会も多かった。
 彼(あるいは彼女)は、ひどくおとなしい性質のようで、いつでも置物のように動かなかった。
 私は傘をさして彼を観察し、ときどきは一方的に言葉をかけた。
「おはようございます」
 おそらくこの世界の年長者であるところのうみがめは、言葉に反応することもなく、難しい顔をして何かとても複雑なことを考えこんでいるように見えた。
 私はなんとなくこのうみがめが好きになった。
 一体何をしにくるのだかよくわからないけれど、こうして巨大な生き物が庭に居座っていることは、良い兆しのように思った。もしかしたら、この家の守り神なのかもしれない。大事にしようと思った。
 うみがめというからには海藻を食べるのだろうと思い、スーパーで買ってきたわかめを差し出してみたけれど見向きもされず、なんだか嫌そうに目を細めたので味噌汁にして私が食べてしまった。それからは食べ物を与えるのをやめることにした。ここに来るのは、きっと私には考えも及ばないような、別な目的があるのだと思う。
 とある雨の休日、引っ越してきたばかりで知り合いもいない私は、うみがめと一日を過ごすことにする。私はうみがめが、どのようにして家の前から姿を消すのか気になっていた。
 季節は夏で、さらさらした雨滴が朝から降り続いていて、天気予報のおっしゃることには、気温はそれほど高くならないようだった。濡れてもいい半袖のTシャツとハーフパンツを身につけ、ビーチサンダルを履いて傘を持った。それからいつものように家の前でうずくまっているうみがめの横にしゃがんだ。うみがめは口を半開きにして変な顔をしていた。甲羅をなでたり、またがったりしてみたけれど、彼(あるいは彼女)は依然として変顔を決め込んだままぼうっとしていた。そのまま5時間が過ぎた。
 うみがめが動き出したのは午後2時になったあたりで、急に人が変わったように変な顔をやめ、目つきが厳しくなった。前足をばたばたさせはじめ、車の運転が未熟の人のやりがちな車庫入れのような、不器用な危なっかしい前進がはじまった。家の門が出口ということは、うみがめも承知のようだったけれど、体があまりに重く、また手足がヒレだからということもあり、うまく方向転換ができないようだった。私は歯がゆい思いをしながら見守った。うみがめが門から玄関へ続く土で出来た道を外れ、雑草が生い茂る草むらに頭を突っ込んだまま一休みしはじめた時は、なんだか絶望すら感じられた。雑草は後できちんと刈ろうと心に決めた。

 うみがめが門にたどり着くまでに30分もかかった。人間なら5秒の距離だった。私は今まで自分が何も知らなかったことが恥ずかしくなった。うみがめはのんびり歩いてきたわけではなく、おそらく多大な労力を費やして移動を重ねていたのだった。門の向こうのことを考えると不安になる。海に出るためには、国道を横切らなくてはならない。私の憂慮などお構いなしに、うみがめは門の外に前進をはじめ、アスファルトが敷いてある歩道に出た。田舎の国道には車の影も見えなかったけれど、私は内心冷や汗の出る思いがした。100キロ以上もあるうみがめが、もし国道の真ん中で一休みをはじめたら、私に何ができるというのだろう。家に台車のようなものがあったかどうか思い返していると、歩道を歩いてきたおじさんがうみがめを見て立ち止まり、私にちらりと視線を向けたあと、虚空に向かって「そうか、今日は雨だもんなあ」と言った。それからおじさんは私の家の右隣のお宅に入って行き、別のおじさんを連れて戻ってきた。おじさんたちは「しょうがないねえ」「どうしてなんだろうねえ」と言い合いながら、うみがめを挟むように立ち、甲羅をつかんでそのまま持ち上げてしまった。うみがめは目をぱちぱちさせ、首をひねっていた。二人のおじさんは、意外にも軽やかな足取りでうみがめを海側の歩道に下ろし、何事もなかったかのようにどこかへ去っていった。お礼を言う暇もないくらい、あっという間のできごとだった。

 うみがめは低い堤防の切れ目のスロープに向かって這う。砂浜にたどり着いたあとは、何故かまっすぐ海に向かわず、一休みを繰り返しながら、砂の上に長い迷路を描いている。波打ち際にたどり着く頃には、日が暮れかけている。うみがめは波の中に顔を入れたまま力尽きたようにじっとしていたけれど、突然激しく足を動かし、今までよりずっと速い前進を見せると、吸い込まれるようにして海に潜った。暗い水の向こうを、滑るように泳いでいくうみがめは、それが本来の姿であることを自ら楽しんでいるみたいに、自由自在に見えた。私は二本の足で砂浜に立ち、右手には傘をさしている。そのことが何故か不思議に思えた。

 夏の終わり頃、会社から帰ってみると玄関から3歩のところにたくさんの小さな卵があった。それはおそらくうみがめの卵だった。卵にはわずかばかりの土がかかっていたけれど、そのほとんどは雨に流されてしまっていた。卵は青白く透き通っていて、磨いたばかりの鉱物のように、怪しい光を放っていた。
 私はうみがめの卵をビニール袋に入れ、砂浜に向かった。水を吸った砂は黒く固まっていて、踏みしめるたびに湿った音がした。手で濡れた砂を掘り返し、小さな穴の底に卵を置いた。それから軽く砂をかけ、卵を隠した。いつかこの穴から、無数の小さなうみがめが這い出して、海に向かって這っていくのだろう。砂浜にしゃがみこんで、雨が降りしきる暗い海に飛び込んでいくうみがめ達のことを考えた時、私は彼女よりも、よっぽど不器用な自分をみつけている。
 卵の上に傘をさしてしゃがんでいると、いつの間にか真っ赤な夕暮れが広がっていた。雨上がりの、1億5千万km向こうから届いた夕暮れだ。
 海に飛び込んだ時、自由にならない手足と、重力と浮力と、真っ暗な海底と真っ赤な空と、無数の生きものたちと、無数の死んだものたちと、私と、私じゃない全ての中に、あのときうみがめが見せた、自由自在であることの片鱗を感じている。

  砂浜に打ち上げられた私は、この町に来て、はじめて笑う。

 

 

 

<おわり>

 

 

 

お題「雨の日のちょっといい話」

 

手前 (id:temae) さんに紹介して頂き、
どこかの誰か (id:sourceone) さんの企画に参加させて頂きました。
たのしかったです。

 

 

音楽を聴かない日

 音楽を聴くのをやめたい、と思った。
 以前にも何度か考えたことがある。
 会社から家に帰ってくると、必ずyoutubeで音楽を聴きながら文章を書き始める。
 そうして、音楽を聴き、文章を書いたあとは布団に入って寝る。
 睡眠とお風呂と食事以外の全ての時間を、youtubeと文章を書くことに費やしている。
 それが好き。

 しかしながら、ときどき書くことよりもyoutubeの方が楽しくなってしまうことがある。
 視聴している音楽の、関連動画に良さそうなものをみつけると、ついそちらも聴いてしまう。
 そこで新しい音楽に出会うと、今度はwikipediaなどを駆使して情報を掘り下げる。
 どんなミュージシャンに影響を受けたのか、またはジャンル的に類似したミュージシャンにはどのようなものがあるのか調べたりもする。
 調べた情報をもとに再びyoutubeに戻って検索をはじめる――などとやっていると、永遠にyoutubeが終わらない。
 そのようにしてyoutubeだけで一日が終わってしまうと、罪悪感にも似た感情がやってくる。
 一日が無駄になったようで(そんなことは無いんだけれど)なかなか寝付けないこともある。
 そうならないために、どうすればいいのか。
 音楽を聴くのをやめればいいのだった。

 私は今、耳栓をしてこれを書いている。
 とても静かだ。今までは、様々な音楽のリズムや歌詞に影響を受け、文章が作られていたと思う。
 けれど今日はとても静かだから、これが今までで一番自然な文章かもしれない。

 ありのままの君でいいんだ、という言葉には深く賛同するけれど、ありのままの自分を認めるには、多大な努力が必要だってこと、わりと多くの人が気づいていると思う。



荒野のひとり

 休日を家で過ごすと、夜眠る時、なぜか心が切なくなる。
 だからなるべく外に出かけるようにしていた。
 行ったことがない場所を訪れること、楽しかった場所を再訪すること、なんの目論見もなくただ歩きまわること、色々なスタイルで外出をする。
 けれど今日は、なんだか外に出る気がしなかった。
 たまには家にいてもいいのかもしれないと思い、玄関のドアを一度も開けていない。

 正午に目覚め、リビングでぼうっとした。
 ぼうっとしながら、どこかに出かけようかなと考えた。
 いつでも出かけられる場所をいくらかストックしてあった。
 とても行きたい場所がない時のための、いつ行ってもいい場所だった。
 けれどストックしてある場所は、魅力的に感じられなかった。
 体調や気分や天気や、地球と月の距離によって行きたい場所は変わるけれど、その日の私はどこにも行きたいとは思わない。
 どこにも行きたいと思わないなら、家にいたいんだなとわかった。
 分かったことが少しうれしかった。

 洗濯をしながら、リビングに転がって本を読んだ。
 内田百閒先生の短編集。
 それから本を胸の上に置いて眠った。
 うたた寝する時には、この態勢が一番いいように思う。
 目覚めたらまた本を読む。そうしていると、夢の中で本の続きが勝手に再生される。
 同じシーンが何度も映像になって、声になって再生される。
 開いたページには、夢の中で見た映像は出てこない。
 夢が勝手に作った物語だった。
 どちらでも構わないと考えている。

 洗濯物を干して、テレビゲームの電源をいれた。
 古いアメリカの、荒野が舞台のお話だ。
 私はならずものになって、拳銃をぶら下げて、馬に乗って、荒々しい大地をぱかぱか走っていく。
 私は部屋にひとりで、荒野にひとりだった。
 青空の果てに翼を広げた大型の鳥が飛んでいる。
 奇妙な形の花が獰猛に生い茂っている。
 獣のうなりごえ。
 どこかで鳴り響く銃声。
 胸の上からテンガロンハットを取り上げ、真っ暗な夜の暗闇に目を凝らす。
 周りに敵意が無いことを確認してから、再び焚き火の隣に横になった。
 枕にしていた鞄の中から一冊の本を取り出して読み始める。

 

駅のホームに座り続ける

 何かが進行している空間の中の、一点にとどまっている事が好きだ。
 どうしてそうなのかはよくわからないけれど、子供の頃から町の片隅でじっとしていたいという欲求があった。路地裏から通りを見ていたいとか、見晴らしのいい高台から空と海を眺めていたいとか、そういうことだ。
 それを一言で表現するなら「お地蔵さん」ということになるのだけれど、実際には石仏でなくともよい。三脚に立ててあるビデオカメラでもいいし、木や草でも、バス停でもいい。じっとして動かない物が好きだったし、そういうものになりたかった。
 それがどういう種類の感情なのか、今でもうまく言葉にできないけれど、誰にでもある気持ちなんじゃないかと思い、楽観視している。
 厳しく解釈するなら、私は何にも参加したくないのだと思う。傍観者の立場に甘んじていたいんだろう。
 好意的に解釈するなら、もともと仙人みたいなひとなんだ。だったらいいな。

 いつも駅のホームのベンチに座っている。
 遅刻するのが嫌なので、会社に30分前に着くように出る。
 しかしあまりに早く会社に着いても時間が無駄だから、駅のホームで過ごすことにしている。
 主に読書をしている。
 はじめの頃は、自分が何か悪いことをしている気がした。
 早朝の通勤ラッシュで騒がしい駅のホームで、のんびりベンチに座っていることは、異質であることの証明であると感じられた。しかし、それにも慣れた。
 今ではもう、目の前を力尽きた瞳で歩いていくサラリーマンを見ても、何も思わなくなったし、見なくなった。
 じっと手元の携帯端末の文字を読んでいる。手を伸ばせば触れられる位置に膨大な人の流れがある。足音と電車の轟音がある。住んでいる世界のレイヤーが少しだけ食い違っているから、それは実際には触れることができないのではないかとも思う。
 彼らには感情があって、嫌だなあとか、仕事をしたくないなあとか、そういう感情があるけれども、私にはそういうものがなくて、欲しいとも思わず、同じ種族でもない、という顔をなんとなく演じている自分に気がついた時、私は自分が、実はベンチに擬態していることに気がついた。
 そのうち誰かが、膝に座るかもしれない。

 江戸川乱歩先生のあの作品のことを思い出して、にわかにぞっとした。私の場合は人間椅子ではなく、人間地蔵だった。もし駅のホームで即身仏を見かけたら、私の好きなひまわりを周りにいっぱい植えてほしい。

 

 

母と花

「あの時のあんたは、とても寒そうで震えてたんだ。あたしはなんて馬鹿なことをしたんだろうって、今思うと悲しくて、時々涙が出るんだ」
 と母は憂鬱そうな顔で言った。
「どう思おうと勝手だけど、私はそのことを覚えていないし、おおむね幸せだったよ」
 と私は言った。
 思い出の中の可哀想な私を何度も再生して勝手に泣くのはやめてほしい。
 私はお母さんを悲しませるために生きてきたわけじゃない。

 母のことを書こうと思う時、私の母はその時、おそらく30代の後半で、少し太っていた。母はいつも少し太っていたように思うし、そのことを自分で気にしていたと思う。けれど私も姉も父も、彼女が太っていることについて、おそらくどんな感情も抱いていなかった。そして彼女が気にしているということを知っていながら、私達は気にかけなかった。今考えてみると、少し残酷な気もする。けれど母親というのは何故か少し太っているものだと私は今でも思っている。そういうものだと思っている。そして彼女たちは、いつでも少し太りすぎている自分を気にしているものだと思っている。何故かそう考えている。

 母のことを書こうと思う時、私は母の怒った顔を思い浮かべている。そして笑顔を思い浮かべている。その感情に付随した記憶を発掘するにはあまりにも遠くに思い出がある。それは深い湖の底に沈んでいる町みたいに広大で、もとは親密だった記憶だったはずなのに今となってはかすんでよく見ることが出来ないように思われる。意味を失いつつあるけれど、たしかに私が所有していた記憶だという感触もまたある。そのような記憶について、私はどのように扱ったらよいのか決めかねているところもある。大事な思い出というものは、普段はそっと胸の奥にしまっておくべきだと思う。常日頃から取り出して眺めてみるにはあまりにも重すぎるように感じられる。繊細で壊れやすいのに対峙すると強い力を持っている。頭がぐらぐらしてくる。今の自分が足元から崩れていくような気がする。何度も何度も書いたかもしれないけれど、私が持っている一番古い記憶の中で父と母はブランケットの真ん中に私をのせてハンモックのようにして揺らして笑っていた。毛布のあたたかい匂いがしていた。日向の匂いがしていた。

 母は厳しかったのだろうか、それとも甘かったのだろうか、よくわからない。私は母を一人しか知らずそれを他人の家庭と比べることはなかなか容易ではないように思われる。母はいつも怒っていたように思うし、それと同じくらい笑ったり、励ましてくれたりしたように思う。料理を作り、働きに出かけ、居間のテーブルについて頬杖をつき煙草を吸っていた。その時の母はこの世のものとは思えないほど気配が薄かった。まるで人形のように生気がなかった。子供の私は不安になって母に話しかけた。母は気のない返事をした。そして煙草を吸った。私はこのまま母が死んでしまうのではないかと思っていた。あまりにも疲れ切って見えた。そして彼女を疲れさせているのはおそらく私自身だったということは今にならなければわからないことでもあった。母には感謝している。とても感謝している。

 母とはよく喧嘩をしたように思う。けれど母は長らく私のことを手のかからない子と呼んでいたとも記憶している。私は手のかからない子である自分が嫌だったし窮屈だったけれど、同時に誇りにもしていた。そういうアンビバレントな感情を私に教えてのはおそらく母だった。母はいつも笑っていたくせに驚くほどネガティブな瞬間があった。「いつも最悪の事態を想像するの。そうすれば何が起きても悲しくないから」彼女の根底はとんでもなく悲しかった。私はなぜ母がそんなことを言うのか分からなかった。けれどもそういう人だった。楽しい時に心の中では一番悲しいことを想像していたのだろう。そうすれば楽しさが破壊されても悲しくないからだ。その発想自体がとても悲しくて悔しかった。私は結局、彼女が言うほど素晴らしい存在ではなかったのだと子供心に思った。私は母が好きだったけれど、同時にあまり好きではなかった。母は悲しかった。

 母はおそらく、それほどいい人間ではなかった。よくパチンコに行って私をひとりきりにした。私は寂しくて泣いていた。すると隣に住んでいたご老人が訪ねてきて相手をしてくれた。母はいつも笑いながら帰ってきた。彼女は自分をがむしゃらな人間だと思っていた。そして実際にがむしゃらで、それ以上にやみくもだった。めちゃくちゃだったけれどきちんと生きていた。彼女は生きた。色々なものを憎んでいたし、様々なものを愛していた。父も私も姉も母は愛していた。そして同時に私達の死を想像していた。彼女は分裂していた。けれどそれが母が生涯を通して学んできた生き方なら、どうして私はそれを否定できるだろう?

 母に言いたいことがある。文句のひとつも言ってみたい気もする。
 けれど私が文句を言いたいのは、私を置いてどこか知らない町に行ってしまう母であり、今の母ではない。
 今の私は、母が元気で、幸せであってくれれば、別にどこで何をしようと構わない。

「あんたが子供の頃のビデオ見る?」
 この間帰郷した際に、母がDVDを持ってきて言った。
 ポータブルDVDプレイヤーの小さなモニターに子供の私が映っていた。
 もうずっと若い母が映っていた。古い服を着て、気取っていた。
 父が映っていた。父兄の参加する綱引きで、なぜかひとりだけ裸足の父だった。
「ほら、お父さん。これはあんた。お母さんこれ見て、夜中に一人で泣いてるの」
 母は楽しそうに言った。
 おそらく楽しいのだろう。
 母はもう何も欲しいものは無いという。
 食べたいものも、行きたい場所も、なにもないという。
 それでも、趣味の観葉植物だけはひっそりと続けていた。
「そこの木、この間花が咲いたの。木って面白くてね、ずっとあったかいところに置いておくと、花が咲かないの。一回きちんと冬を体験させないと、花は咲かないの」

 私は母が幸せであればいいと思う。
 それは、いつかどこかで、おそらく誰にでもやってくるはずの、冬を乗り越えたからかもしれない。

 

 

 

今週のお題「母の日」

マシュマロのお返事

 スマートフォンがビルルと震え、マシュマロをキャッチした旨知らせます。
 私はいつものように嬉しく思いました。
「志々見さんに誰かがマシュマロ投げたようです!」
 と、お知らせメールに書かれている時、いつも未発見の嬉しさがあります。

 今回届いたマシュマロは以下の内容でした。

 

 

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 ありがとうございます。
 プロフィールアイコンがスケキヨになったことについての質問ですが、なんと言えばよろしいか、とても複雑なのですけれども、一言で言い表すならば、それはやはり、サービス精神とでも呼ぶべき情緒なのではないかと、愚考いたします。
 愚考に端を発して思考を精査いたしますと、そこはかとない気持ちの飽和もあります。
 また、切り替える、という意味も含んでいました。
 にわかに自我の発露もございまして恥ずかしさばかりではありますけれども、従来の少女のかんばせより、スケキヨは私むきなのではないかとも思う次第なのです。
 スケキヨのマスクをかぶっている人物は、顔をやけどしているので、あの白いマスクをかぶって、スカーフェイスを隠匿しておりますけれども、そういうところが私は好きですし、またスケキヨのマスク自体がスケキヨ性を(中身よりも)明瞭に、また多量に有しているというところにも、なんだか惹かれますし、タキシード仮面様が顔丸出しなのに正体全然ばれないの、めちゃめちゃ面白いと思いますし、つまり好きなんです。

 でもどうでしょう。
 本当のところは難しいです。
 私はただスケキヨが好きなだけでは無い気もします。
 あるいはそれがなんなのか確かめるために、彼をアイコンにしたのかもしれません。

 海外の、マスクをつけるタイプのデスメタルバンドのメンバーに、スケキヨがいたら面白いなと思い、コラージュ画像を作ってみたこともあります。

 

 

 

 

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 作ってみて、すごくいいなあと、私は思ったんです。
 彼の不気味さ、ある種の上品さ、そしてどことなくユーモラスであるところ、そのどれをとっても他のマスクに負けていないと思うんです。
 でも、この程度では、全然足りなかった。
 私はもっとスケキヨを知りたかったし、彼が(私にとって)どういう存在なのかを知るためには、もはや現実の世界にスケキヨを連れてくるしかないと私は思いました。
 私はおかしいでしょうか。
 あるいは少し、おかしいのかもしれません。
 しかしそのおかしさは、スケキヨによってもたらされ、スケキヨによって解決される種類のおかしさだったと今でも思っています。

 

 

 

 

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 スケキヨとは、つまり私のことなのだと私は思いました。


 自己紹介の時間が来たのかもしれません。
 おるすとからの皆さん、変わっていない私を見てみなさんが笑ってくれればいいと思います。
 ブル体からの皆さん、私は大人になったつもりでした。でもやっぱり間違っていたのかもしれません。
 ぬのからの皆さん、もしよかったら少しずつ慣れていってください。
 ピリオドからの皆さん、私は突然いなくなることがありますが、気にしないでください。

 マシュマロをくださった方、ありがとうございます。
 おかげさまで、きちんと挨拶ができました。
 これで答えになっていればいいなあと思います。