ピリオドのこっちがわ

さまざまな記録と想像

蕎麦と友人と写真

 九州に転勤した友人が、東京に戻ってくることになりました。
 友人と私は、もともとは東北の生まれで、私が東京に引っ越したのち、友人も偶然東京に来ることになり、東京に住んでいる地方の者同士、たまに会ってご飯を食べることもある、という関係なので、正直に言うと「東京に戻ってくる」という表現も、なんだか変な感じがするのですけれども、かと言って故郷に帰っても、あんまり「帰った」という感じがしないのも事実で、私の故郷はもちろん東北の片田舎で間違いは無いのですけれども、本当の故郷の感覚って、モンゴルなんです。

 モンゴルの大草原にベッドを置いて寝る。
 というイメージが私の故郷で、つまり故郷は頭の中にしかないわけです。
 などというと亡国の移民のようで少し格好がいいので勝手に気に入ります。
 故郷には母がおりますけれども、生まれ育った家には、別の家族が住んでいて、おそらくそれも影響していて、私には帰る家がないというイメージが頭の中にあって、いつもうっすらと寂しく、それでいて爽快な気もしています。
「あたしが居るところがあんたの家だ」
 と、御母様は言っておられましたけれども、なんというのでしょうか、存在をまるごと肯定されたような、大地のような言葉だと思いました。

 ともあれ、便宜的に東京に戻ってくる友人が、引っ越しなどの作業をするため、私の住んでいる町を訪れるというので、ご飯でも食べようということになりました。
 巣鴨の地蔵通り商店街を訪れた私達は、お蕎麦屋さんに入って、せいろうを食べました。
 冷たいお蕎麦は、しっかりとコシがあって、つるっとしていて、淡白で素直なお蕎麦の味がしました。
 友人は「川海老の唐揚げ」という、とても粋な食べ物を注文しました。
 赤い色のついた籐のカゴの上に、和紙が敷いてあって、その上に鮮やかな赤の、つやつやしたえびが何匹もありました。あまりにも典雅な食べ物が出てきたので、うれしくなって、私は笑いました。普段はポイフルや豆大福などを食らって生きている私です。

 ご飯を食べ終わったあと、私は「川に写真を撮りに行こう」と友人を誘いました。
 友人は、行こうと言ってくれました。
 春の陽射しがさんさんと降り注ぐ川沿いの土手で写真を撮って、たくさん笑いました。
 今日の思い出は、きっと、ずっと残ることと思います。