ピリオドのこっちがわ

さまざまな記録と想像

突然のお客様方へ

 この記事は4月16日に書いていて、朝起きたら読者という吹き出しみたいな項目の数字が5から16に変わっていた。
 会社にいる間、気の小さい私はスマートフォンを震える手で握りしめながら気が気ではなかった。
 何か(良からぬことが)起きたに違いないと思った。
 炎上だ。
 ついに私のブログは炎上してしまったのだ! と思った。
 あまりの恐ろしさに直帰せず、神保町という本屋がたくさんある町のはなまるうどんで冷やし坦々うどんを食べてしまった。トッピングには野菜のかき揚げととり天をつけた。すごく豪勢だ。お皿の上にぴかぴかの天ぷらが並んでいて、丼の上のうどんはつやつやに輝いていた。見ているだけで幸せになってくる光景だったから普通に食べた。しかし本当は震えていなかった。私はよく面白いと思った空想を書くことにしていた。そしてうどんを食べているのは真実だった。UFOも飛んでいた。
 食べていると隣に脚の早い少年が座った。
 足が本当に早い子で、店内をすたたたっと歩いてきて隣の椅子にタターンと座ってうどんを食べ始めたのだが、この子の食べ方がはじめてみる(および聴く)感じのもので、
「ちゅっちゅるうるるちゅっちゅるるうう」と激しくちゅっちゅしているのです。
 これにはさすがの私も参ってしまい、頭を抱えることとなった。
 よくある効果音はずぞぞだと思う。ぞばばでもよい。とにかく音にも快および不快というものは存在すると思うのだけれど、ちゅっちゅ音がはなまるうどん内に木霊していて、一体どんな吸い方をしたらそうなるのか観察したくなってしまった。
 ちらりちらりと横目を使って見てみると、どこにでもいそうなファッショナブルな少年だったから、たとえばハーモニカの音は人間の口内の形によって出力される音が違うということを思い出している。
 そばうどんのすすりですら個々のユニークな特性があるということだった。
 この世界に同じ人間はひとりとしていないからこそ人は孤独であり、孤独だからこそ分かり合うことができる。そういうことだったんだっ。
 私が慈愛の眼差しで少年を見ると、少年は不意にテーブルの上にかがみ込んで、目の前の目隠し板の下から何かに向かって「ホイホイホイ!」と南国の鳥みたいな声を出した。
 変な人だったのか、仕方ないなあと思っていたら今度は少年の隣に更にファッショナブルな少年がタターンと座って、南国の鳥の少年と今やってきた少年と二人、中国語で何かお話しをはじめた。
 変な人だったのではない。彼が変に見えたのは、彼が私の知らない文化に生きていたからなのだ。これからは多様性の時代だ。多種多様な文化を取り入れることで人間は自分たちの居場所をなんとか作り出そうとしている。文化がひとつしかないとバベルの塔だ。たくさんあるからこそひとつの危機で絶滅しても他の種が生き残るようになっているのだ、と何かで読んだことがある気がする。前置きが長くなったけれど、つまりそのような理由で私は新しい11人を多様性の申し子として歓迎します。ホイホイホイ! もし良かったらどこから来たのか教えてくれると嬉しいです。
 それから、別に何も言わなかったですけれども、最初の5人の人たちのことは私はファーストチルドレンと名付けていて、火・水・木・金・土の五行に対応した属性を勝手に付与して精霊のようなものだなあと思っていますから、ファーストチルドレンの方も今更ですが、歓迎します。それから読者という表示に含まれていないけれどこれを読んでくれている方々、歓迎します。数字として表現されていない方々はブギーマンと呼んでいます。見えないけれど力を持っている存在で、こっそり有益な情報を教えてくれたりする、いいキャラです。歓迎するどころではない方もおりますけれども、それはのちのちの展開でザ・ワンとして明かされることで、それは救世主を意味しています。
 そういうわけで、みなさんよろしくおねがいします。

 という文章を書いてから、今日が17日で、読者という表示が29になっていた。
 こういうこともある可能性を私は一切考えていなかったから、16人より先の設定を全く練っていなかった。だから16人以降の人々のついては架空性タケノコ、あるいは空から落ちてくる少女型レプリカントだと思うことにした。その中の数人でもよいから、魂に目覚めてくれたらいいと思っている。とにかく私はあなた方も歓迎します。ようこそいらっしゃいました。くつろいでいってね。モイ! お茶ドゾー。グーテンターク! ヌーベルバーグ! みんなげんき。