ピリオドのこっちがわ

さまざまな記録と想像

ネットカフェダイバー

 ロマンチックなことを申し上げますけれど、ネットカフェは深海のようだと思う。
 泥の中にじっと身を潜めて目だけ出している深海魚のような人々が、時々ソフトドリンクやソフトクリームや、新しい本を手にするために、隠れ家から、ゆらりと姿を現した時、同じような場所に生息していた私の、同じような目的で行動を出力した結果の廊下で、ふとすれ違った時の、ろくでもない共感みたいな微弱な気持ちは、目の弱った軟体生物になってしまった私にとっては、ちょっとした電流が流れるおもちゃの電極に触れてしまった時のような驚きと、正体不明の申し訳なさをもたらす。

 それぞれの住み心地のよい泥濘に潜り込んで、彼らは一体何をしているのだろうか。
 薄い壁一枚向こうには、私が借りた部屋と、ほぼ変わりないレイアウトの狭い空間があるだけのはずなのに、きっとそれぞれの使用者の、独自の部屋になっているはずだとも考えるし、見てはいけない異界が広がっているような気もする。隣室から聞こえてくる咳払いや、泡のようなひとりごとや、寝返りを打った際に床のマットと服が擦れる鋭い音などが、まるで自分の部屋から響いているかのように接近して、はっきりと聞こえてくるのは、静けさのせいというよりも、生まれてからずっと使ってこなかった人間のセンサーのひとつが、深い海の底ではじめて、動作を開始したからなのかもしれない。

 はじめに『重版出来!』というマンガ本を読んだ日から、今日に至るまで計4回、ネットカフェに通ってみて、革のような質感のフルフラットシートに寝たり、座ったりしながら、一生懸命ソフトクリームをスプーンですくいながら、続きを読み尽くす時の、不思議な集中力がとても好きだった。たくさんのマンガ本を好きなだけ読んでいいというシステムと、世界につながっている四角い窓と、無限ソフトクリームと、飲めるだけ飲んでもいいというミルクココアと、マウスをクリックすると現れるメガポテトは、とてもシンプルに、心の子供の喜びを満たす。家が一軒買えるくらいの価格の腕時計や、爆発もたたかいもない映画や、JAZZや、フランス料理には、きっと同じことができない。(もちろんそれらには、違う価値があるのだけれども)

 薄いオレンジ色の光に照らされた狭い部屋の中で、半分眠りに落ちながら、ここは深海のようだなあと思う私の意識は、まっくらな海の底に漂っていて、ほのかに喜ばしい。