ピリオドのこっちがわ

さまざまな記録と想像

アウトドア読書家

 家で本を読んでいる。
 部屋の、自分の机の前の椅子の上で本を読んでいる。
 会社のトイレで本を読んでいる。その時、電子書籍で読んでいる。
 電車の中で本を読んでいる。揺れながらページをめくるうちに眠たくなっている。夢うつつで小説に書いていない内容が頭に思い浮かび「こんな内容だったかな」と思って目覚める。電車には他にも読んでいる人たちがいて、何を読んでいるのか気になってしまう。本を読むことについて本を読む人が語ることを聞きたいと思う。
 友人の家で本を読んでいる。友人も本を読んでいる。その時、さすがに友人の家で読まなくてもいいじゃないかと思う気がしてきて罪悪感が出てきて本を読むことをやめることもある。やめないこともある。本を読んでいるという状況を共有することになにか意味がある気がしている。たいてい無い。
 ラーメン屋で本を読んでいる。中華料理屋で、ファミリーレストランで、喫茶店で本を読んでいる。本を読まないでくださいと言われたことがないのって面白いと思う。でもゴルフをやったりパントマイムをやったり投げナイフをやったりしたら怒られるかもしれない。読書が趣味で本当に良かった。もし投げナイフが趣味だったら、私のナイフはきっと"大人の心"に向かって放たれる。かっこいい。
 江ノ島で本を読んでいる。高尾山の頂上で本を読んでいる。帰りのケーブルカーでも本を読んでいる。本を読みに出かけるという意味のわからない動機もアウトドアリーダー達にとってはすこぶる当然の動機である。
 富士山の麓の宿で本を読んでいる。青木ヶ原樹海でも本を読んでいる。
 秋葉原歩行者天国で本を読んでいる。競艇場で本を読んでいる。
 助手席で本を読んでいる。ベッドで本を読んでいる。駅のホームを歩きながら本を読んでいる。しかし駅のホームを歩きながらニノキンスタイルで本を読んでいる他者を見る時、「危険! やめてください!」と思う。ふらふらしてあぶなそうだからである。なるべく本は止まっている時に読んだほうがいいようではある。
 jazzクラブで本を読んでいる。公園のベンチで本を読んでいる。会社の待合室で本を読んでいる。
 どこででも本を読めるのだし、どこででも読める本を、どこでも読んでみるのってすごくいいなあと思う。
 読む場所によって本から受け取る情報も少しだけ変化するように思う。

 自分がいる場所が変わるということは、心のある場所も少しだけ変化するということだから、外で読む本が、日光を反射してページが真っ白に光っている感じや、気持ちのよい風によって、もっと良くなったりすることは、とても当たり前のことだった。安楽椅子探偵がいるように、アウトドア読書家がいてもいいのだし、案外たくさんいそうな気もするということを、池の横のベンチで、カモを見ながら本を読んでいて、考えました。